20代のこと
※この記事はフィクションです
※この記事は KIRIN The STRONG 麒麟 特製 ホワイトサワー ~ヨーグルトスッキリ仕立て~
を飲みながら書かれました
大学院のときのこと
学部時代はバイトもサークルもせずに虚無だった。おかげで就活は大失敗。 どうしようもないのでモラトリアム期間延長のために院進。
院進後は、自宅近くのフリーランスエンジニアのお手伝いとして、覚えたてのPHPとJavaScriptでひどいコードを書いたり、 社名変更する前の現職の会社でインターンシップ、アルバイトとしてサーバーサイドJavaを書いたりしていた。
ちょうどその頃、地元の中学、高校時代の同級生であるEちゃんと久しぶりに連絡を取るようになっていた。
彼女は生徒会会長に立候補し選ばれるような典型的な優等生だった。
なおかつ気配り上手で、周りを見遣るときのプレーリードッグのようにつぶらな眼、まっすぐで優しい視線が私は好きだった。
私は彼女の親友と、彼女は私が所属していた卓球部のチームリーダーと付き合っていた。
彼女の住まいや大学が小平あたりだったので、就活帰りや学校終わりに吉祥寺や国分寺などで夜な夜な遊んだ。 合唱部に所属していた彼女は、本番が近づくと喉の調子を整えるためにお酒を控えて、代わりにアップルタイザーを好んでよく飲んでいた。 学生の飲みらしくカラオケへ行ったときには合唱曲の練習をしていた。らしいなと思った。
ある日、気取って新宿にあったオサレなバーを予約して行った。 彼女はゴスロリファッションが好きだった。お願いしたら着てきてくれた。 黒くひらひらした衣装に身を包み、切れ長なアイラインを引いた彼女にカメラを向けると、しっとりと照れ笑いを浮かべていた。
その後、西武新宿線に揺られて彼女の住む鷹の台へと向かった。 小平らへんは東京の中でも寒いから「東京のシベリア」と呼んでいるんだ、と彼女は言った。 電車を降り、駅前のコンビニでジーマの瓶とりんごサワーの缶を買ってから家へ向かった。
「ちょっとまっててー」
そういって彼女が入っていった部屋は私の自宅と同じ部屋番号だった。 待っている間に廊下の窓から外を覗くと、もうすぐ終電を迎える西武線の線路が月明かりに照らされていた。
彼女の部屋にはたくさんのゴスロリファッションの衣装が吊るされていた。洗面所には歯ブラシが2本とひげ剃りが置かれていた。
YouTubeで流すディズニーの曲に合わせて小声で歌う彼女を見ながら甘ったるいジーマを流し込んだ。 ひとしきり飲んだ後に後ろから抱きしめてみた。沈黙の後にかわいいげんこつがポコンとひとつ飛んできた*1。
やがて再び歌い始めた彼女の声を、私は背骨越しに骨伝導で聞き続けた。
新卒採用→鬱状態でドロップアウト
「精神科に行こうかと思っているんです」
会社近くのこじんまりとした居酒屋へ連れ出された私は、当時の上司Tさん*2に告げた。
「そうか……」
Tさんは項垂れた。
0時ちょっとにPCをシャットダウンして駆け込んだ浅草線西馬込行き最終電車。
投げかけられる言葉の暴力。
終電後に歩いた国道1号線。
先輩の真似をして忍び込んだ人もまだらな週末のオフィス。
そんな生活をなんとなく1年強続けていたら心身が限界を迎えていた*3。
その週末、適当にググって見つけた戸越銀座の精神科へ向かう。 待合室には niceboat な映像とともに穏やかなクラシックが流れていた。 適当な診察の末に受け取った雑な診断書は鉛筆書きだった。いいのかあれは。まぁ初診でまともな診断書なんてくれないだろうから、会社を休ませるための免罪符として仕方なく書いてくれたものなのだろう。
雑居ビルの最上階にあった病院を出て、処方されたSSRIを受け取った後に戸越銀座の商店街を宛もなく歩いた。行き着いた焼き鳥屋で腰を下ろした。 焼き台に立つ中学生くらいの息子とじいさん、酒をつくりサーブする娘とばあさん。家族経営なのか知らんがその店はほどよく賑わっていた。 土曜日の午後の昼下がり、そんなアットホームな光景をぼーっと見つめつつ、もうあの会社には行かなくて良いんだと思うと心が無になった。
酒がうまかった。
転職
そんな近況を母親にLINEすると、その晩には姉夫婦に回収されて地元へ強制送還となった。 戸越銀座からの帰り道、遠くから高速を飛ばしてくる姉夫婦へ振る舞うために、荏原町-馬込間の坂の途中にある小さなからあげ屋さんでいつもスルーしていた唐揚げを買った。あのタイミングで唐揚げって意味わかんねぇな。
強制送還の道すがら、Facebookにその旨を投稿した。その投稿を見た大学院時代のバイト先の会社の人間からメッセージが来て、そこから転職へとつながった。
2020年4月で丸4年が経つ。
引っ越し
調布市多摩川→大田区北馬込→新宿区上落合→武蔵野市吉祥寺北町→杉並区久我山
特に馬込時代は楽しかった。
今でもたまに飲みに行く当時のご近所さんCさんとは、自宅近くにあった意識低いバー*4で知り合った。 ハルちゃん呼ばれていた、その名に似つかわしくないダンプ松本みたいなオバさんにウザ絡みされて、もうそろそろ帰ろうかと思っていたときに入店してきた常連のイケメンである。 その日は、めちゃくちゃな展開の末にハルちゃんに押し切られて無理やりLINEを交換させられた形だったような。
その後もLINEで誘われてそのバーや荏原町-馬込間の坂あたりの飲み屋で度々飲んだ。 爺さん婆さんが営業していた地下にあるホコリ臭いカラオケスナックで角瓶を二人で空けたり、あの界隈の人らと飲み歩いた末にラリって裸になったり。
彼は当時はグラフィックデザイナーとして某有名キャラクターのグッズやら美術展のグッズ、クリエイティブなどを作っていたそうだ。 彼の結婚式の2次会に招待されて行ったときのアウェー感たるや……
そんなイケイケに見える割には罵声が飛んでいたりする体育会系な会社だったらしく、お互い溜まっていたという点で奇妙な共通点があったのかもしれない。 会社で仕事中に船を漕いだのは、彼と深夜2,3時までしこたま飲んだ後に出勤したあの日が最初で最後だ*5。
彼はその後、住んでいた物件の建て替えのために越していった。 私も転職を期に馬込を離れた。
シェアハウスに1年間住んでみた
前記の吉祥寺がそれ。
友人の勧めもあったので、また、ちょっと調べてみると入居要件として年齢制限があったり、そもそもおっさんになるにつれて気持ち的にシンドくなるような気がしたので、若いうちに住んでみた。
共有リビング + 個室のみの物件だったのでだいぶ静かな家だったが、そこそこ楽しかった。 ラッキースケベ (死語) おいしかった。
財政再建
男もすなる借金といふものをしてみむとてするなり。
賃貸住まいで車も家も何も持ってない根無し草じゃけん車を買う程度の借金 (ローン) くらい良いのでは、という甘い考えのもと金遣いを荒くしていた。 前述の通り、無駄に引っ越しが多いのもその一環。
なので、20代はずっと毎月の収支がカツカツで貯蓄もロクにしていなかった。それどころか、仮想通貨バブルで博打した借金やら引越し費用やら仕事辞めたときの無駄遣いやらの借金もいくらかあった。 26歳くらいからこしらえ始めた借金が28歳で総額70万円くらいになってたのかな。
返済で首が回らなくなるという訳ではなかった。しかし、ふとした時に流石にそろそろヤバいなということで、主に下記の3本建てで財政再建を図った。
- 固定費削減
- 家賃: 7万円→5.6万円→4.2万円
- テレビを窓から放り投げてNHK解約
- 家計簿記録、返済計画策定
- 積立NISAで積立投資
「図った」 といっても、完全にゼロになるまであと数ヶ月かかりそう (残額約20万円)。 まともに生活してれば少なくとも月4, 5万円は貯金できてたのかなぁと、今更ながら。
最近は会社辞めそうな気配のせいか単に年功序列的なあれなのかは知らんが何故か無駄に給料が上がったので、返済が終わったら固定費削減の効果も相まって月10万円くらいは貯金できそう。
マッチングアプリ
29歳。もういい歳だし、ということで少しやってみた。
……まぁあれでうまいこといくのであればみんな苦労しないだろう*6。
ロクでもない状況の中で、Pairsで知り合った4歳ほど年上のSさんとはそこそこ仲良くなった。 表参道の雑貨屋で働く彼女は、万人受けする可愛さがあるかと言われると……だが (失礼) とても愛らしい人だった。 私も彼女も赤提灯系が好きだったので毎週のように飲みに行った。
ある日、話の流れで彼女も馬込に以前住んでいたことがあると分かると、その時飲んでいた大森の地獄谷から馬込までタクって例のバーで飲み直した*7。 ふたりともぐだんぐだんになって終電も逃した後は、千鳥足の彼女を仕方なく旗の台のカラオケへ担ぎ込んだ。抱き合いつつうなされつつ一晩をやり過ごした。 その日、私は仕事を休んだ。
別日、中目黒で飲んで夜桜を見た帰り際のスタバ。 もじもじしながら「今度家に泊まりに来ない?」と問うてきた彼女は少し緊張していたようだった。
2019/04/30、平成最後の日の夜。武蔵新城の駅で彼女と落ち合った。 駅近くの中華料理屋で飲んだ後、近くのスーパーで酒やらなにやらを買い込み、彼女の家にお邪魔した。
テレビを付けると、平成最後の日の特番で色めき立っていた。まるで年末であるかのようにひとつの時代の終わりと新しい時代の始まりの瞬間をカウントダウンしていた。 その様子を抱き合いながら見ていた。
それが彼女と会った最後の日だった。